■番外編2 「ザイのやさぐれ恋模様」3
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ウォード発見の一報をよこして、セレスタンは配置についたはずだった。
追い立てられれば、地下坑道に逃げこむと踏み、この界隈からほど近い、抜け道の入口で張りこんでいる。毎度のことながら、判断は素早く、そつがない。
と同時に、人を食った言い草を思い出し、ザイは苛々と舌打ちした。
「たく、あのハゲ。メガネだけ、よけやがって」
メイド連は引きあげた、そう聞いたはずだった。というのに、気を抜いて店を出たら、例のメガネと出くわした。
もっとも、街角にいたジョエルを呼びつけ、一石二鳥と押しつけたが。師匠が師匠なら弟子も弟子。まったく余計な気をまわす。
ウォードは異民通りから大通り方面へ、飲食店と服飾雑貨が入り混じる界隈を、東に向かって進んでいた。
その移動と平行し、北に一区画へだててザイが、南に下った地点にジョエルが、標的をはさみ込む格好で、その足どりを追っている。商都の中央部よりやや北寄り、北門付近一帯を占める猥雑な盛り場から、ありふれた店舗街へと切り替わる境目あたりだ。
気ままに部隊から出奔したため、ウォードは手ぶらで、所持金も少ない。先々入用になりそうな備品を、本部に取りにくるものと思われた。
標的の動向を慎重に見すえ、ザイは建物の陰を移動する。
この先は殺し合いだ。
無傷で捕らえようなどという考えは、もはや持ってはいなかった。今やウォードは、短時間で山野を駆け抜け、二十の敵を仕留める腕前。半死半生で連行できれば上出来の部類だ。
とはいえ、どんな窮地に陥っても、ウォードが反撃する気は不思議としない。
それでも、たとえ相手が無抵抗でも、手を抜くつもりは、ザイにはなかった。ウォードには処分の指示が出ている。
ウォードが官憲に捕まる前に、身柄を押さえる必要があった。事の重大性をわきまえぬ子供が、内情を暴露する前に。与太者といえどもカレリアの市民。その虐殺を仕出かしたからには、もはや処分は免れないが、官憲に捕まる前と後では、部隊の損害は天と地ほども開きがある。
「──勝手なもんだな」
気配を追いつつ、呟いた。
やられたら、やり返せ、と幼いウォードに説いてきたのは、他ならぬ自分たちではなかったか。というのに、その言いつけに従えば、たちまち処分するというのだ。
ウォードが暴走した理由には、うすうす察しがついていた。おそらくウォードはやり返したのだ。与太者がバリーにしたことを、そっくりそのまま本人たちに。
傭兵稼業のウォードには、それは身に染み付いた習性で、こたびの仇敵の殲滅は、当然の帰結であり、成り行きだ。無論、行為自体は同じでも、現場が戦地であるか否か、法に適う状況か否かで意味するところは大きく異なる。
曲がり角を出ようとしたところで、ウォードの歩みが、ぴたりと止まった。
一体何を考えているのか、街路に落ちたウォードの影は、そこから前に進まない。街角にひそみ、息を殺してしばらく待つも、それきり全く動かない。
「──打って出るか」
ウォードが立ち止まった街角から片時も視線を放さずに、ザイは腰の刀剣を探る。
するり、と刃柄が予期せず逃げた。
怖気が走り、困惑する。汗で手が滑ったか。いや、違う。ゆるく握っていたからだ。
何故そんなことをしていたのか、にわかに理由を思い出した。
ためらいが足を止め、嫌な感じに胸がざわつく。これからすることを彼女が知れば、一体どう思うのか。官憲にまで盾突いた、曲がったことの嫌いな彼女は。
さわり、と木立の梢をゆらし、夏の風が吹きすぎる。
人けのない遊歩道。石畳でゆれる、まだらな木漏れ日。夏日に琥珀にかがやいた、ふわりと巻いた肩の髪──すっ、と人影が街角で動いた。
はっと標的に意識を戻す。
(──しまった)
出遅れた。
目端をよぎった残像を捉え、ぎり、とザイは歯ぎしりした。
「──なにやってんだ、俺は!」
舌打ちで罵り、ぐっと腹に力を込める。通りを隔てた向こう側のジョエルは、こちらの合図で動く手はず。だが、その機を完全に逸していた。既にウォードは、尾行に完全に気づいている。
──どうする。
けちが付いた。
じりじりしながら、出方を目まぐるしく計算した。流れは、ない。それでも腹をくくって後を追うか。だが、今から駆け出しても追いつけない。
街への侵入に使った「足」を、用意しているはずだった。この街並みの地下のどこかに、ホーリーを待たせている。ならば、ウォードが次に現れる地点は──
ぎくり、と我に返って、身構えた。ぴたり、と張りついた気配がある。
いつの間にか、真後ろに。
ウォードの追跡を続けるよう、何か言いたげなジョエルに指示し、ザイはそっけなく踵を返した。
建物の立て込む裏通りは、強い夏日にひなびている。ぶらぶら歩き、街角に視線をめぐらせた。
時刻は正午を大分まわり、陽射しの強さは今がピークだ。辛うじて店を開けている所も、店の中はがら空きで、どの店にも客はない。店員も店の奥に引っこんでしまい、その姿があったとしても、暇そうに新聞を広げているくらいだ。
鴉が黒翼をばたつかせ、道端でごみをつついていた。裏口に出されたごみ箱を、痩せた野良猫が漁っている。見渡すかぎり、人影はない。尋ね人の姿もない。
裏通りに道を折れ、ザイは苦虫かみつぶして舌打ちした。
「──ジジイ。くだらねえ雑用、増やしてんじゃねえよ」
今日は、ろくなことがない。
暑い昼日中走りまわって、昼寝しようと本部に戻れば、占拠されて中に入れず、今も、ウォードを取り逃がした。いや、その動きを見過ごした。帰ったと思ったメガネには意味不明な悪ふざけをされ、首長にはあてつけがましく嫌みを言われ、いや、それどころか──
「たく! どいつもこいつも」
道ばたに転がる酒瓶を、腹立ちまぎれに蹴り飛ばす。
それは建物の裏手の壁で砕け、けたたましい音を立てた。
曲がり角に差しかかると、飲食店の店員らしき若い男が、油にまみれた裏口の壁に寄りかかり、日陰で煙草をふかしていた。
ちら、と非難がましく目を向ける。明らかにザイを認めたが、何を言うでもなく目をそらした。この界隈は、物騒で知られる異民街がほど近い。相手の荒んだ風体を見、係わり合いになるのを避けたのだろう。その横を、ザイも無言で通りすぎる。
街は静まりかえっている。
祭の造作物を打ち壊す音だけが、高い空に響いている。狭い道の両側に、石造りの建物が高く連なり、ひっそりと日陰が落ちていた。石畳が続く商都の街路。左右の建物に切りとられた空から、夏日が鈍く射してくる。
気だるく足を運びつつ、溜息まじりに夏空を仰いだ。
「なにやってんだか」
ぐだぐだだ。
仕事中に考え事とは、前代未聞の失態だ。我ながら信じられない。一瞬の油断が命取り、そうした生業のはずだった。
苦々しく首を振り、気乗りのしない足どりで、ザイはぶらぶら石畳を踏む。
ぎくり、とその足が凍りついた。
視界をよぎった紺地のひだ。白い靴下、黒の革靴──。
はっと見返した肩の下、その顔を見て、息が止まる。
「ちょっと、やだなに。どーしたのー? お化けに出くわしたみたいな顔しちゃってさ」
後ろ手にし、首をかしげて見あげている、あの顔が、そこにあった。
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